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  4月23日(生後13日)〜30日(生後20日)

 ボク、お母さんを休ませてあげようと頑張って寝てたんだ。でも無理やり誰かに起こされちゃった。
 ボクがお目めぱっちり開いたら、おばあちゃんと親戚のおばちゃんがいたよ。なぜだかとっても喜んでて、「起きてくれたー満足!」って、言って帰って行っちゃった。みんな喜ぶから、その後ずっと起っきしてお母さんと遊んであげたよ。楽しかったぁ?

4月22日(生後12日)  

 なぜかボクってよくミルクを吐いちゃうんだ〜。そんなに沢山飲まなくっても、ドバーっとお口からでてきちゃうの。意外とボクは平気なんだけど、お母さんが毎回びっくりして困ってるみたい。
沢山吐くからって、ミルクの量減らさないでね〜。

 

4月21日(生後11日)

 夜中お母さんのおっぱいを吸っている間に、お父さんがボクのためにミルクをせっせと作ってくれるんだ〜。
でもお父さんは、いっつも眠たそうな顔して作ってくれてるので、きっと長続きはしないだろうな〜。

4月20日(生後10日)  

 ボクのおうちに帰ってきて初めて朝を迎えたよ。
今日のお風呂はお母さんが初めて入れてくれたんだけど、なんだかとっても不安定(-_-;)。病院の看護婦さんの方が安心して入れたなぁ〜。
お母さん・・・ボクをお湯の中に落とさないでね。
 

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4月19日(生後9日) 退院

 めでたくもってボクは自分のおうちに帰ることになったよ。お母さんの貧血はまだかなりひどいらしいんだけど、先生に薬治療で許可を貰ったんだって。
初めてのお外の空気も新鮮だったけど、初めてのタクシーにも感動。だけど・・・すぐに寝ちゃった。
おうちに帰ると、鼻のおっきなお姉ちゃんがお迎えしてくれたよ。

 番外編(ひな日記)
 4月10日の出産からついに退院です。
かつて流産を経験し、今回のお産でも初期に切迫流産で10日間ほど入院。その後も色々とあったけれど、無事に出産できて退院を迎えられたことは感無量です\(^o^)/。
 私は和弥を産んだ病院でお産が出来たことを良かったと思っています。
主治医の先生も良い方だし、何といっても病棟の助産師さん、看護婦さんがとてもいいかたばかりでした。
入院していた6人部屋では同室の仲間とも楽しく過ごすことができ、お友達にもなれたし楽しい入院生活でした。
和弥にとっても誕生日が近いお友達が早速出来て、良かった良かった(^_-)-☆。
何故か同室のBABYは皆男の子。なんと4人が帝王切開。帝王切開でのお産が多いことにもびっくりでした。
同室にはフィリピン人の方もいたのですが、彼女のBABYは超未熟児で産まれ、心臓に病気があったらしく、専門の病院にBABYは搬送され入院していました。
一人だけ傍にBABYがいないにも関わらず、それでも彼女はいつも明るく私達と会話をし、私達のBABYも可愛がってくれていてちょっと心苦しかったです。
退院後の後日談で、彼女のBABYはあと数ヶ月しかもたない・・・ということを聞きました。とても残念でなりません。

 今回私自身初めて出産を経験し、「出産」「子供をもつということ」「親になるということ」など等・・・・・色々と考えさせられた気がします。
きっとこれから大変だろうな〜。とは思うのですが、ずっと自分が子供をもつなんて想像していなかった私にとっては、大きく考えを変えるきっかけになったと思います。
 

4月18日(生後8日)  

 ボクは人一倍食欲旺盛なんだって。同じお部屋のお友達より沢山飲むらしい・・・。そして何故か飲んだ後に、お口から“どばー”っとミルクが出てきちゃうんだ。なんでかな〜。助産師のおばさんも夜中よく話してるんだよね。「 きみはミルク吐きっ子ちゃんだね〜。」って。げっぷさせてもらっても、“どばー”っと出てきちゃうんだ〜。
でもその度にお着替えしてもらえるからラッキー☆

4月17日(生後7日)

 お母さんは血があまりにも薄くなってしまって、歩く時フラフラなんだって・・。なのにボクは沢山ミルク飲むから、何度も何度もフラフラしながら看護婦さんにミルクをもらいに行ってくれてたよ。
ボクにおっぱいを飲ませてくれるために、せっせと助産師さんにおっぱいマッサージもしてもらってた・・・。お母さんのおっぱいって不思議だね。ミルクがぴゅーって、飛び出してたよ。いつか飲めるのかな〜。

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4月16日(生後6日)今日ボクの名前が“和弥(かずや)”に決まったよ。

 (ひな日記)この日は退院予定の日だった。しかし深夜に突然の大量出血!夜中3時頃に目が覚めてみるとベッドは血の海(-"-)。ナースステーションへ行き事情を話すと、子宮の収縮によって大量に出血するケースがある。との事。「朝になったら先生に見てもらいましょうね。」ということだったのだが・・・・。もうそこから私の悲劇は始まりました。出血は一向に治まらず、30分毎にお手洗いへ行きパットを交換。お産用のパット大が30分ももなたいくらいの大量出血で、何度目かの交換にトイレに立った時にとうとう貧血で倒れてしまいました。丁度そこに助産師さんが通ったので、担いで診察室まで連れて行っていただき、夜勤の先生の診察を受けました。
 その時には「もう治まってきているようなので、大丈夫でしょう・・」といわれたのだけれど、ベッドに戻ってみると一向に出血は治まらない。助産師さんがせっせと頻繁にパットを交換してくださって朝の産婦人科回診を迎えました。
先生によーく診察していただくと、なんと会陰切開した部分が裂けてしまっていたらしく、再び痛い思いをして縫っていただく羽目に(-"-)。
 先生や助産師さん曰く「めったにない事。まあアンラッキーだったと思ってください。」・・・・・・およよ。
その後出血は止まったものの、極度の貧血になってしまって、退院は延期となりました。

4月15日(生後5日)

 ボクの食欲は今日もフル回転(^v^)。お母さんは「こんなに沢山のんで大丈夫?」と聞くけど、平気平気。 お母さんがミルクを貰いに新生児室へ行っている間も待ちきれなくって、ボクはおお泣きしちゃったよ・・・。
そしたら同じお部屋のお友達のお母さん達が、心配そうにみんなボクの周りに集まってきてくれてた・・・。だって・・・待ちきれなかったんだもん。

4月14日(生後4日)  

 今日は1度に100ccミルク飲んじゃって、お母さんがびっくりしてた。普通は生まれた日に10をかけた量くらいが、1回のミルクの量なんだって・・・。
今日は助産師のおばちゃんにスパルタ教育を受けたよ。お母さんのおっぱいを吸う練習らしいんだけど、ミルクでてこないし、哺乳瓶みたいに簡単に吸えないから、僕は思いっきり反抗して、おお泣きしちゃった・・。だけど、それでもおばちゃんはボクをお母さんのオッパイに“むにゅ”って近づけてくの(-"-)。

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4月13日(生後3日)

 お父さんのおばあちゃん・・ボクのひいおばあちゃんって人がやってきたよ。その後は、お母さんのお友達もボクに会いに来てくれたらしいんだけど、ボクは眠くってずっと寝てたの。また今度お目目開いた時に会いに来てね。
ボクって結構人気者?

4月12日(生後2日)  ←因みにひなの誕生日☆

 お母さんのおっぱいを吸う練習が始まったんだ。だけどボクは哺乳瓶の方がいいな〜。すぐに沢山出てくるし、吸いやすいんだもん。
ボクはいつも朝の6時から夜8時半くらいまで、お母さんのお部屋で一緒にすごして、夜はお友達と新生児室ってところで寝るんだけど、今日は夜にまたお友達が産まれたらしく、看護婦さんたちが忙しくって、ボクは夜の11時ごろまでお母さんのお部屋で一緒にいたんだ。

4月11日(生後1日) 今日からボクが日記をつけることになったよ!

 今日の午後から、昼間はお母さんと同じお部屋で過ごすんだって。お友達も沢山いてにぎやかなお部屋だよ。
今日はお父さんもずっと一緒にお部屋にいたから、お仕事お休みしたのかな〜。
まだミルクは10cc〜20cc位しか飲まないんだけど、お母さんもお父さんも、ボクが泣くたびにオロオロオタオタしてるよ。頑張ってね。

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4月10日(誕生)

 早朝4時ごろから軽い陣痛らしきものを感じ、時間を計ると10分間隔くらい。
6時に病院へ電話をしその旨を伝えると、「まだまだ産まれなさそうなので、一応入院の準備をして外来受診してください。」とのこと。
そしてうめも休みを取り、タクシーに乗って病院の外来へ行きました。
 まだこの頃のは陣痛間隔もあいているので歩くことも平気だし、タクシーの運転手さんと笑って会話をする余裕もありました。
 診察の結果「まだ1センチ程しか開いてないね〜。だけど確実に陣痛が来ているので、まあ明日の朝くらいまでには産まれるだろうから入院しましょう。」と言うことで、そのまま病棟へ入院することに・・・・・。
そして・・・・
11:00   病棟へ行き出産用寝具に着替え、浣腸、内診を受ける。
      まだうめや助産師さんと会話をする余裕もある。
      子宮口3センチ開く

12:00   昼食の時間。陣痛の感覚が短くなってきてちょっとツライ・・・。
      徐々にベッドに寝ているのもツライ状態になってくる。

12:30   かなり痛みが強くなってきて、うめに助産師さんにその旨を伝えに
      ナースステーションへ行ってもらう。
      仰向きではかなり苦しいので、四つんばい状態で痛みに耐えている
      と助産師さんがやってきて、「じゃあ分娩室へ行きましょう。」といっ    
      てくれる。
      ・・・・・しかし・・・この時点では助産師さんたち皆、「まだまだ産まれ
      ないわよ。我慢しなさい・・・」といった反応だったらしい(うめ談)

12:40   分娩台に上がって痛みを耐える。あまりにも辛くって助産師さんに
      訴えるが、「まだまだよ〜」と言う反応・・・(-"-)。

13:00   その後別のベテラン年配助産師さんが来て内診をしてくれると、
      なんとその時点で子宮口は全開に開いてきていたらしく、
      「産まれるわよ!もう頭が見えてきているから準備して!」と・・・。
      慌てて助産師さんたちが準備を開始。
      私のお産は急激なスピードで進行したようです。
      そこからあれよあれよと出産の準備がされ、先生たちもやってきて
      くれた。丁度時間的に外来診察が終わった後だったので、主治医
      の先生をはじめ、3人の先生と2人の助産師さんが立ち会ってくれて
      いました。(先生勢ぞろいで、ちょっとお得だったかも^_^;)
      主治医の先生も「お産が始まったと連絡があって来たけれど、
      まさか○○(私)さんだとは思わなかったよ〜。明日の朝くらいだと
      思っていたのにね〜」
      ・・・・・・・明日の朝まではこの痛み・・・耐えられましぇ〜ん(-"-)。
      
13:40   何度かのいきみの後、主治医の先生が私のお腹に乗っかり、
      “うんしょ!” すると、突然痛みが消えてすっきり!!
      “おぎゃー おぎゃー” 2984gの男児がこの世に生を受けた瞬間でした。
 
出産後間もなくの写真。まだ分娩台の上です。
私は出産後過呼吸になってしまい、息をするのが相当苦しい状態でした。
ビニール袋を口に当ててもらい、徐々に息が正常に・・・。
そして助産師さんがBABYを連れてきてくれたのです。
産後2時間ほど後、私は病室へ歩いて戻りました。
もう歩くことも会話をすることも平気。食欲だって出てきます。

その頃BABYは新生児室。
産まれた時から、髪の毛フサフサ。
産後6時間後くらいの写真です。
うめのお父さんお母さんもやってきて、BABYとご対面。
初孫ができて、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。

 

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